日本の音楽シーンを支えるミュージシャンを「カナデルーム」がご紹介するこの企画。第3回目は、プログレッシヴ・ロックバンドQuaserからギターキャリアをスタートさせ、80年代を席巻したREBECCAをサポートし続けるギタリスト、是永巧一さん。他にも、福山雅治、筋肉少女帯、サイモン・ル・ボン(ex Duran Duran)、CHAGE and ASKA、浜崎あゆみ、ONE OK ROCK、LiSA「炎」(劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』主題歌)などのレコーディングやサウンドプロデュースを手がけ、つねに変化する”今の音”を発信してきました。是永さんの音を形作るものとは…?
やりたいのは70年代ロック!高校時代のコンテストで師匠に出会う
●まずは、ギターを始めたきっかけを教えてください。
僕の場合、叔父たちがジャズをやっていて、ピアノ、エレクトリック・アコーディオン、サックスを弾いていたのと、実家が元々酒蔵でセッションができる広い部屋があり、いとこがエレクトリック・ギターとアンプを持ち込んで練習していたことがきっかけですね。小学生のときから僕も忍び込んで弾くようになり、中学生になって叔父たちにスケールを教わりました。
●ギターを手にしたときはどんな音楽がやりたかったのですか?
70年代ロックです。T・レックスとかレッド・ツェッペリン、グランド・ファンク・レイルロード、あとジェフ・ベック。中3くらいからチック・コリアのいるリターン・トゥ・フォーエヴァー。チック・コリアはもうとにかくショックでした。
70年代ロックが好きでギターを始めましたが、ジャズ好きの叔父たちの影響があってクロスオーバーとかフュージョン方面にいき、高校生になるとプログレッシヴ・ロックバンドで曲を書きました。そんなとき、ものすごくキーボードが上手い転校生がバンドに入ったのでコンテストに出てみたら、賞とか取っちゃった(笑)。この頃、九州地域のコンテストでは、稲葉政裕(G.)さんや佐藤強一(Dr.)さんと仲良くしていました。
僕の音楽の師匠となる松浦義和(Key.)さんに出会ったのも高3の終わりくらいに出たコンテスト。松浦さんはもともとクラシック出身でとても才能豊かな方ですが、当時はプログレッシヴ・ロックバンドのQuaser(クェーサー)にいて、ヤマハのディレクターとコンテストの審査をしていました。このとき松浦さんが僕に目をつけてくれたおかげで福岡でヤマハの仕事を始めることになり、Quaserに加入することが決まりました。

●福岡から東京へ出てきたのはその後すぐですか?
上京したのはQuaserが東京のレコード会社と契約したときです。と同時に、事務所と契約して大学にも入学し、ライブやレコーディングなどをこなしながら学生をしていました。大学の先輩には中島オバヲ(per.)さんや渡辺格(G.)さんがいて、彼らは経堂にある楽器屋に集まっていました。
その楽器屋は今はもうないけど、学生からプロになる人を優遇してくれた。そうそう、久保田利伸さんもバイトしていましたね。その頃はQuaserを通じて四人囃子やプリズムといった見上げるようなバンドの先輩たちとのつながりもできました。
REBECCAのサポートをはじめ、サウンドクリエイトに取り組んだ80年代
●REBECCA(レベッカ)のサポートはいつから始まりましたか?
1984年、ソニーのディレクターになっていたアマチュア時代の仲間からREBECCAのオーディションに誘われたんです。受けたら「ギターは決まってしまったからレコーディングで弾いてくれないか」といわれ、1984年からレコーディングメンバーとしてアレンジなどもいっしょにやりました。
僕が参加した2枚のREBECCAのアルバムは爆発的にヒットしました。すると、クリスマスにメンバーから電話がかかってきて「明日福岡に来て、とりあえずライブを1回観てくれ。レコーディングやってるからライブもできるだろう?」と無茶苦茶なこと言われまして(笑)。1回リハやって3日後に大阪城ホール、そして全国ツアーという強引な流れになりました。このときからREBECCAのライブもサポートするようになりました。
●その後、様々なアーティストのアレンジやプロデュースを手がけたきっかけは何だったのでしょう?
もともとメロディラインを書くというより、サウンドクリエイトのほうに興味がありました。80年代はファンクにしてもロックにしてもデジタルの波が来ていて”ニューウェーブ”と呼ばれ、僕もデジタル楽器とか打ち込みを使った音楽がやりたかった。だから僕なりに簡単な録音システムを自分で揃えて、少ない機材でいろいろ工夫して新しいサウンドをつくっていました。これが結構、アレンジやサウンドプロデュースの役に立つことになりました。もともとクラシックだった師匠の松浦さんから、編曲に関する基礎的なことをいろいろ習っていたことも非常に大きかったです。
●当時はどのように新しいサウンドをつくっていましたか?
アパートの1室を録音部屋にして、4チャンネルしかないMTRをピンポンして工夫しながらつくっていました。最低限の機材、MTR、リズムマシン、エフェクターしか買わずに。シンプルな機材をいかに使うかを実験ながらイマジネーションを働かせて、アイデアをあれこれ試してみるんです。イメージしたサウンドを具現化するのには、やり方を自分で理解できていないとダメですね。
当時使っていた僕の3種の神器は、TEAC 144(カセットMTR)、ローランドDr.Beat(リズムマシン)、ローランドSDE2000(デジタルディレイ)。Dr.Beatは安いリズムマシンだけど、今でも使いたいくらいカッコいい音です。

●是永さんは、いわゆるバンドブーム(80年代後半から90年代前半)の頃のアーティストのサウンドプロデュースをたくさん手がけたわけですね?
そうですね。江口信夫(Dr.)さんや松本晃彦(作曲)さんといった同世代の仲間ができ、サウンドプロダクションを自分たちでできるようになった頃でした。1986年の終わり頃はまさに飛ぶ鳥を落とす勢い!当時はバブルでもあったので、僕のような新しいプロデューサーをどんどん使ってくれました。
またこの頃は、窪田晴男(G.)さん、ホッピー神山(Key.)さん、岡野ハジメ(B.)さんなどの東京のエッジーなロックバンドの人たちと仕事ができたし、ライブに顔を出していたルーツ系の先輩方とも仕事できたので、自分としてはかなりおもしろい時代でした。
●いまは自宅のスタジオでどんな作業をしていますか?
ギターの録音とか練習とか。ONE OK ROCKのプリプロもやりました。ここでやるのはギターものだけであえて最小限にしています。サウンドづくりは一人でやっていると煮詰まるほうなので、マニピュレーター/DJの相棒、HALKI(平石晴己)と別のスタジオでやっています。
以前は何も防音対策していませんでしたが、少し前に窓に吸音材で一番効果的といわれる素材を貼ってカーテンを防音効果のあるものに変えました。一時、アンプの改造にハマったことがあって、爆音で音を出したら隣の人から「うるさい」って叱られちゃったので(笑)。その後、近所の人は僕がテレビに出ると許してくれます(笑)。普段はプロのミュージシャンと思われていないのかも(笑)。

ギターが上手くなりたいのなら、トーン(音色)を意識する!
●愛用のギターについて教えてください。
50-60本持っていますが、これは自分のギターの最新モデルでSaijo GUITARSのSJK-4 (是永巧一モデル)。ピックアップのコイルを8回も巻き直して試行錯誤した結果、4800ターンになりました。結局、僕が求めていた音はギブソンが最初に作った4800ターンの「P.A.F.」だったという…。いろんなギターを聴いたり弾いたりしましたが、子供の頃から聴いている「P.A.F.」が一番しっくりきました。不思議なものですね。
他にSJK-4 (是永巧一モデル)のおもしろい部分は、裏のバネが1本しかないところです。普通、アーム上げるとバネが伸びるけど、これは縮むんです。工業用の硬いバネが1本だけ入っていてタイトに鳴ります。Saijo GUITARSはそういうところがおもしろいメーカーですよ。

●ギターが上手くなるには何が重要ですか?
手が早く動くなどのテクニックも大事ですが、重要なのはトーン(音色、タッチ)がいいかどうか。トーンの重要さを感じ始めたのは、ギターを始めた頃に海外のアーティストや、十代でつながった日本の憧れの人たちを見て聴いて。尊敬しているのは、七色のトーンを持っている森園勝敏(G.)さん( 四人囃子、プリズム)。あの人はすごいタッチを持っていて音にビジョンがありますね。そういえば先輩の横内タケ(G.)さんにも、「ピッチとリズムとトーンだけは何とかものにしろよ」って言われました。
音って旋律とかリズムだけじゃなくて、もっと立体的だったり色彩感にあふれたものですよね?音色をちゃんと考えた上で練習しないと楽しくもないですし、いいトーンを出すのはエフェクターでもギターでもなく自分の「手」だから。最初は安い機材を工夫して、どうやったら憧れの人のトーンに近づけるか、どうやったらこの音が出るだろうか追求すればいいと思います。
1本のギターでも、ボリュームとかトーンとか付いているものをいじるだけで音がすごく変わります。あと、上のほうで弾くのか下のほうで弾くのかでも変わっちゃう。ギターのトーンはエフェクターで音を変える以前にやることがたくさんあります。高い機材が買えなくてやった工夫は、かならず役に立つようになると断言します!ぜひ、やってみてください。
そうですよ。だって先輩の財産をもらって次の世代に渡していかなくちゃ。そして次の世代を進化させなきゃいけない。時代に合わせてね。先輩たちを見ていて自分もそう思うようになりました。
僕の場合は十代からすごい先輩たちのプレイをたくさん観れたことが大きかったです。ライブに行くと、音源から分からないようなカラフルなことをやっているのが分かります。全部盗んで帰りましたよ(笑)。なかでもChar(G.)さん、和田アキラ(G.)さんは衝撃的!一緒に弾いたら「バーン!」ってこの辺まで音が立体的に出てくるのですごくビックリしましたね。
【是永巧一 MY BEST WORKS】
◆シングル
REBECCA「RASPBERRY DREAM」
CHAGE and ASKA「なぜに君は帰らない」
サイモン・ル・ボン「NOBODY KNOWS」
◆アルバム
REBECCA「REBECCA IV ~ Maybe Tomorrow ~」
ONE OK ROCK「Nicheシンドローム」
寺田恵子「エンド・オブ・ザ・ワールド」
◆ライブ
1989年 REBECCA 東京ドーム
2000年 CHAGE and ASKA 韓国・ソウル市オリンピック公園
PROFILE & INFORMATION
<是永巧一>1961年12月25日生まれ。大分県出身のギタリスト、サウンドプロデューサー、アレンジャー。1979年19歳でプログレッシヴ・ロックバンドQeaserに加入、1984年頃よりREBECCAのレコーディングおよびツアーに参加する。筋肉少女帯、ONE OK ROCKなど数々のアーティストのレコーディング、サウンドプロデュース、アレンジを手がけている。2020年にはLiSA「炎」(劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』主題歌)のレコーディングにもギタリストとして参加した。
是永巧一(official/Halftone Music)
是永巧一Twitter:@KORE1225