日本の音楽シーンを支えるミュージシャンを「カナデルーム」がご紹介するこの企画。第1回目は、久保田利伸をはじめ、KREVA、CHEMISTRY、平井堅、石井竜也、Kinki Kids、東方神起などのアレンジやサウンドプロデュースを手がけ、彼らのライブでもキーボードプレイヤーとしてがっちりサポートしてきた柿崎洋一郎さん。クロスオーバーなスタイルを武器にJポップの根幹を作り上げたその素顔に迫ります。愛用のキーボードにまつわる興味深いお話も必見!
高校生の頃、ブルースバンドのギターからファンクバンドのキーボードに転向
●まずはキーボードを始めたきっかけから教えてください。
ピアノを習い始めたのは小学校3年のとき。大阪から来た転校生がピアノが弾けてモテていたからです(笑)。もともと家には母親がやっていたピアノがあったのですが、幼稚園のときに少しだけやって辞めてしまっていました。きちんとピアノをやれたのは転校生のおかげですかね(笑)。
●どんなミュージシャンから影響を受けましたか?
音楽にのめりこんでいったのは、ハービー・ハンコックやチック・コリアを聴いて「彼らのようになりたい」と思ってから。しばらく経つと「こりゃ無理だな」とあきらめましたが(笑)。でも同時にいろいろな音楽が好きでした。ファンクではアイズレー・ブラザーズ、ブラックコンテンポラリーはもちろん、ディスコ・ミュージックのシックなども好きでした。ちょうどクロスオーバーが流行ってジャズのミュージシャンがディスコ・ミュージックやポップスをやっていた頃です。AORも聞きましたね。
●本格的に音楽活動を始めたのはいつですか?
ギターがやりたかったので高校に入って同級生とブルースバンドを組みました。このブルースバンドはイーストウエストの大会(ヤマハ東京支店主催のアマチュアバンドのコンテスト)で決勝まで残りました。途中、リーダーのボーカルがグラハム・セントラル・ステーションを聴いて「こんなベースを弾きたい。おまえはキーボードやれよ」とファンクバンドに方向転換。僕はキーボードになりました。このバンドでは吉祥寺のディスコで演奏して初めてお金をいただきましたね。また、この頃は国分寺の楽器店で知り合った人たちとやっていたプログレバンドでもキーボードをやっていました。
久保田利伸「BONGA WANGA」でブーツィー、メイシオ、トゥーツをゲストに!
●初めてプロとしての意識が芽生えたお仕事は何でしたか?
1976-1977年に因幡晃さんのサポートをやらせていただいたことでしょうか。初めて参加したツアーではみなさん年上で、僕は譜面もちゃんと読めないし最初からちゃんと弾けるわけじゃないから怒られまくりでした。でも必死だったなぁ。今となってはあの時の気持ちはどこへいったのだろう(笑)。このときはピアノとツインキーボードで僕がオルガンとかソリーナ(ストリングスの音専用のキーボード)を担当。キーボードは自分じゃとても買えなくて全部レンタルでしたね。
アレンジャーやサウンドプロデューサーとしては久保田利伸さんのお仕事です。二人きりで家でプリプロをしたりお互いの家を行き来して作り上げました。ニューヨークへも行きましたし。音楽的趣味が一緒なのでやりやすいし、やっていて楽しかったです。このお仕事からいろいろな方のアレンジがやれるようになりましたね。
●これまでのご自身の作品でお好きなものというと…?
自分の中で一番好きなのは全曲サウンドプロデュースした久保田利伸のアルバム「BONGA WANGA」です。ブーツィー・コリンズ、メイシオ・パーカー、トゥーツ・シールマンスも僕が会いたいからゲストに呼びました(笑)。石井竜也のソロアルバム「GUY」も、今でもいいなと思います。自分がアレンジした曲は全部好きですね(笑)。
一番勉強になったのは、因幡晃さんと来生たかおさんのお仕事です。このお二人は曲も多いしバラードばかりなので音楽的に勉強になりました。自分が普段聞いているジャンルとは違うので緊張しましたし。
初めて買ったキーボードはローズ(Rodes)。どうしても欲しくて48回払いで購入
●初めて買ったキーボードは何ですか?
18歳の頃3か月だけ通ったアン・ミュージックスクール時代、ローズ(Rodes Pano:アメリカ製。ヴィンテージのエレクトリックピアノ)が欲しくて欲しくて、定価78万円のものを48回払いくらいで買ってしまいました。何回か支払いを滞納したことがあります(笑)。その次はコルグ(KORG)MS-20で98,000円、丸井の10回払い。その次がコルグのポリシックス(Polysix)ですね。
●駆け出しの頃、どのようなお部屋でどんな練習をしていましたか?
20歳前、実家がアパートに建て直されたのでそこで一人暮らしを始めました。木造アパートなのにローズとアコピを置いて音を出していたのですぐ苦情が来ました(笑)。練習はひたすらレコードを聴きながらコピー。とにかく、チック・コリアだったら「スペイン」をずっとコピーしてオープンリール(テープを使って録音する記録再生装置)に録って回転を半分に落として聞いての繰り返し。クロスオーバー、フュージョン、ファンク、ディスコといったあらゆるジャンルのフレーズなりコード進行なりをひたすらコピーしました。ここからだんだん引き出しが増えてレコーディングやライブでポッと出てくるようになったので、今となってはすごくいい練習だったと思いますね。
●お部屋に防音対策をされたことはありましたか?
世田谷区で賃貸マンションに住んでいたときは、秋葉原で買ってきた鉛のシートを床に敷いていました。自分で買って自分で運んで8畳の部屋に敷きましたが、ものすごく重かったですね。確か、5~6万円かかったと思います。その上にウレタンの吸音材、さらに上に絨毯を敷いて、ローズを置いていました。同じく世田谷区で、代々ミュージシャンが住んでいるマンションに住んだこともあります。
上手いからってプロになれるわけじゃない。音楽への探求心を持つことが大切
●お仕事ではどんなキーボードを使っていましたか?
久保田さんのお仕事ではコルグとエンドーサー契約(楽器をモニターしてメーカーとともに改良していく)していたのでライブやレコーディングで借りていました。欲しい楽器はなるべく自分で買っていましたが、プロフェットファイブ(Prophet-5:シーケンシャル・サーキット社製。アナログシンセサイザーの名機)などは当時170万円もしていたので、後に中古で、500ドルくらいで買いましたけど。
最近のお気に入りのキーボードはコルグのクロノス(KORG KRONOS)、レコーディングでもライブでもよく使っています。モーグのサム37(MOOG SUB37)、アープのオデッセイ(ARP ODYSSEY)などもいいですね。欲しいものはソリーナ。いま自宅にあるのは14台くらいですね。
ある程度弾けるのは当然ですが、上手いからってプロになれるわけではないですね。いい先輩に巡り合うことや横のつながりが大切だし、いろいろなジャンルの音楽を聴いて探求心を持ち、いいライブを観にいくことが必要です。そういえば、昔は楽器屋さんがミュージシャンのたまり場で、僕も国分寺にいた頃に楽器屋さんでプリズムを結成する前の和田アキラさんと知り合いました。今は楽器屋がミュージシャンのたまり場になっているとはいえないのかもしれませんが。
最近はサラリーマンだった人が会社辞めてアレンジャーになった例などもあるから、「いつまでに芽が出なかったらあきらめろ」とか一概には言えないですね。どちらにしろ音楽を続けていくには、自分のことを信用していないとできないと思いますよ。
PROFILE & INFORMATION
<柿崎洋一郎>1959年3月7日生まれ。東京都出身のキーボードプレイヤー、サウンドプロデューサー、アレンジャー、作曲家。1970年代後半から、因幡晃、来生たかおのサポートメンバーを務め、1980年近藤真彦、久保田利伸のバックバンドに加入。1990年代以降はCHEMISTRY、小柳ゆき、平井堅、Sowelu、米倉利紀、石井竜也、Kinki Kidsなどのアレンジやサンドプロデュースを手がける。2000年以降は、山崎まさよし、スガシカオなどのレコーディング参加や、東方神起のバンドマスター、KREVAのキーボードとして活躍している。
柿崎洋一郎twitter:@Kakiyan37
柿崎洋一郎Intagram:Kakiyan37
柿崎洋一郎(カキヤン)facebook:yoichiro.kakizaki
●LIVE
KREVA「COUNTDOWN JAPAN16/17」12月28日 キーボード
KREVA「COUNTDOWN大阪」12月31日 キーボード
●LATEST WORK
Kinki Kids「N album」(発売中)アレンジ1曲
東方神起リミックスアルバム「Two of Us」(発売中)アレンジ2曲