【大和田慧インタビュー】アポロシアターであの瞬間を経験してから、「私の音楽は私が信じてやっていこう」という気持ちになった

日本の音楽シーンを支えるミュージシャンを「カナデルーム」がご紹介するこの企画。第2回目は、しなやかな「うた」が魅力のシンガーソングライター、大和田慧さん。6月7日に発売されたMONDO GROSSO『何度でも新しく生まれる』への参加と、フジロックフェスティバルでMONDO GROSSOステージをその「うた」で彩ったことが話題です。バンドからソロへの転向により、純度と伝える力を増していったといわれる彼女の音楽。その背景を紐解くとともに、「うた」が輝き始めた理由を探ってみました。

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中学からゴスペル教室に通い、高校でフォークソング部へ

●音楽に目覚めたのはいつですか?

父と母が音楽が大好きで、小さい頃からよく聞いていました。洋楽が多かったです。映画アメリカン・グラフィティ』のサントラをよく聞いていましたね。ピアノは4歳から。歌が大好きで家ではずっと歌っていました。

小6のとき学芸会の練習でソロパートでもないのに歌っていたら、先生が私にソロパートを作ってくれたんです。本番で歌ったら、声で空気を変えるような感覚に「うわー気持ちいい!」って(笑)。このとき漠然と「私は歌をやるんだ」と思いました。そして中学生のとき、映画『天使にラブ・ソングを…』を観てからはゴスペルがやりたくなって。ヤマハのゴスペル教室を探して通うようになったんです。

●学生時代の音楽活動はいかがでしたか?どんな音楽が好きでした?

高校でフォークソング部に入り、アコギを弾くようになりました。そこで父からの影響で好きだったジョニ・ミチェルキャロル・キングカーペンターズのような曲を歌うようになり、自分でも曲を書き始めました。最初は「自分が歌うために曲を作る」という感じでしたが、もっと後になって次第に純粋に「曲をつくりたい」と思うようになりましたね。

 フォークソング部と並行してゴスペルも高3まで続けました。私はブラックミュージックとアコースティックな洋楽ポップス、どっちも大好きだから両方やりたかった。キャロル・キングとアレサ・フランクリンが私の二大憧れアーティスト。どちらも存在を含めた「うた」がとにかく大好きです。

進学先を考えると同時に「もっとブラックミュージックやりたい!」と思っていたら、先輩が「早稲田大学にナレオ(THE NALEIO)っていうブラックミュージックのサークルがあるよ」と教えてくれました。それで早稲田大学に(笑)。ナレオでブラックミュージックをやりながら、一方で高校時代のフォークソング部の先輩と組んだバンド(Mint Julep)の活動も並行しました。このバンドはギタリストがクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングとかのフォーキーな音がすごく好きな人。だから私のギターにもオープンチューニングを多用するようなフォーキーな音が身に沁み込んでいるんですよね。ちなみにこのバンドは8年活動しました。

震災の年にNYへ。シンガーソングライターに”生まれ変わった”

●バンドからシンガーソングライターへの転向にはどのような経緯があったのでしょう?

バンドとして最後のチャンスと思って作ったアルバムのリリースのとき震災があって、それどころではなくなりました。活動も長くなり、結果を出したい焦燥感もあり、バンドの在り方自体もすごく悩みながら作ったアルバムでした。

震災が起きて、どんな気持ちで歌えばいいか迷い、世界が変わってしまった中で改めて歌うこと、歌に限らず「ちゃんと生きなくちゃ」と思ったんです。それでずっと行きたかった場所、NYへ行くことにして、一度外に出てみると発見がたくさんありました。どんなときに自分は感動しているのか、その感覚に忠実になろうと思いました。心が再生して、生まれ変わったみたいな気持ちになって…。帰国してバンドを辞め、そこからソロ活動を始めました。

●シンガーソングライターへの転向してよかった思えたのはいつですか?

2012年からひとりで活動を始め、1枚目のミニアルバム「5 pieces+1」をリリースできたときです。これが大和田慧の音楽です、と言える最初の一歩の作品ができたと思いました。ソロになってから少しずつミュージシャン人脈を作って、仲間に支えられながら夢中でレコーディングした作品でした。愛聴してくれている、と今もよく言ってもらえて嬉しいです。

大和田慧
5 pieces +1/大和田慧(Apple Music/iTunes) ※CDの販売はライブ会場と公式サイト通販で行っています

●アポロシアター・アマチュアナイトへの挑戦は、どのような経緯があったのですか?

アポロシアター・アマチュアナイトに出たのは、レコーディングでNYに行っていたときです。NYへ通うようになって、向こうのメンバーとライブしたときの感覚を持ち帰りたいと思って、2014年、NYで「A Part Of Me EP」を録音しました。そのとき友達にちょうどオーディションがあると教えてもらって「出る出る!」って(笑)。このオーディションってほとんどの人が誰もが知ってる曲をやるのですが、「それだと全然敵わないな、自分の曲だったら誰もやったことがないし一番自分らしい声で歌える」とオリジナル曲でオーディションを受けてみたら、準決勝まで進めました。

アポロシアターを経てからは、「自分が歌うことで何かが変わる」と信じることができるようになりました。誰も知らない日本人の歌に想像を超えて反応してくれた現地のオーディエンス、日本でも自分のパフォーマンスをすごく喜んでくれたり、励みにしてくれる人がいる。以前は、人が私の音楽を必要としてくれるか自信がなく、「誰も見ていなくてもやっていこう」という感じでしたけど、アポロシアターであの瞬間を経験してからは、「私の音楽は私が信じてやっていこう。応援してくれる人たちの気持ちを信じて、応えたい」という気持ちになりました。

それからのこの3年間は、アルバム「touching souls」を作って各地を回ったり、新しい現場にチャレンジしたり、日本での活動もぎゅっと濃くなりました。

愛用のギターはコリングス1本だけ。オープンチューニングにするとすごくカッコいい!

●当時は、お部屋で練習されていましたか?

実家のマンションは幹線道路沿いにあり、角部屋で隣はエレベーターという音が出せる奇跡的な立地でした。ずっと気にせずガンガン音を出して練習してましたね。歌うしアコギ弾くし電子ピアノ弾くし、録音して夜中も歌って(笑)。防音対策はしていませんでしたが、一度も苦情が来たことなかったです。

メジャーハウジングで探した防音マンションに住んだこともあります。1Fにその物件を作った建築事務所が入っていました。防音もすごくしっかりしていて、夜中とかめちゃめちゃ歌っていたけど全然平気。つねに爆音で聞いたり流したり(笑)、とても快適でしたよ。隣はオーディオ大好きおじさんで、顔を合わせるとお互い「うちの音、大丈夫ですか?」と言ったりして(笑)。

いろいろな防音物件に住んできた人のアドバイスで、「防音でも程度はバラバラで音が漏れる物件がある。結局は隣人との相性。神経質な人が住んじゃったら終わり。いろいろ住んだ結果、防音じゃないところに可能性をかけるのはリスキーだから絶対に防音がいい」と言っていました。東京で、防音でもないのに気にせず音が出せていた環境は本当に幸運だったんだなと思いました。

大和田慧
大和田さんのいまの音楽制作ルーム。木のラックにオーディオインターフェイスがあり、手前に宅録用のコンデンサーマイク、手作りカホンがピアノの椅子になっています。

愛用のギターについて教えてください

アメリカのメーカー、コリングス(Collings)のギターです。私はこれ1本だけ。高1のときにロックイン新宿(山野楽器)で購入しました。ギターの上手い先輩と買いに行ったら、中古でめずらしく入ってきていて、先輩が「これなかなかないよ、これが絶対いい」っていうから弾いてみたらすごくいい音で。めちゃめちゃ鳴るんです、このギター。オープンチューニングにするとすごくカッコいいんですよね。このギターじゃなかったら今のような曲作ってなかっただろうな。楽器を変えたらたぶん作る曲が変わりますね。

私の場合、カポを使ってなるべく開放弦ですむように弾いています。ギターの腕前はまだまだ。ただバンドを辞めて一人になってからはアメリカにも一人であちこち行くようになり、「どこでも自分一人で自分の音楽を提示できるようにしたい」と強く思ったので、最低限のバッキングはできるようにと練習してます。正直ギターはないほうがうまく歌えますが(笑)、やっぱり自分にしか出せないグルーブ感もありますよね。

大和田慧

 

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MONDO GROSSO(大沢伸一さん)とのお仕事はいかがでしたか?

2016年に半年くらいの間、MONDO GROSSO『何度でも新しく生まれる』の曲作りのセッションなどお手伝いさせていただきましたが(M2 「春はトワに目覚める feat.UA」共作、
M6 「Solitaly feat. Kei Owada」作詞、共作曲、ボーカル として参加)、自分にもこういう引き出しがあったんだなぁと思ったりして、毎回毎回すごく楽しかったです。音楽を作るところに深くかかわれたことがすごくうれしくて…。このアルバムは本当にカッコいいです!才能がある人がいっぱい集まっていて刺激をもらいました。

大沢さんに私を推薦してくれたのは、ピア二ストの松本圭司さんとドラマーの屋敷豪太さんでした。いつも私はミュージシャンに助けられて成り立っているなぁと思います。「いい音楽をいっしょに作ろう」というミュージシャンシップに助けられて自分の音楽が確立されてきました。いまおもしろいことができているのは、こういった音楽仲間のおかげ。ミュージシャンだけでなく、協力してくれる人たちとの「この人とやっていきたい」という想いを大事にしながら、もっとたくさんの人に歌を届けたいと思います。

●今後の活動について教えてください。

昨年出したアルバム「touching souls」をもって歌い回った体験と、MONDO GROSSO参加などの新しいチャレンジを経て、来年はまたアルバムを出す目標で、曲を書き、構想を練っています。ライブも定期的にやっていて、今年は「Wonder Girl,君は僕の自由だ」というテーマでワンマンライブをシリーズ化しています。

自分の形というのをたくさん模索してきていますが、逆に音楽によって、たとえ普段の私がどれほどデコボコした人間であっても、歌っている間は形がないものにもなれるんだな、と思うようになりました。それくらい最近はライブしていて、スッと溶け合っていくような感覚があります。ぜひライブにきてほしいです。そして今後の作品も、楽しみにしていてください。

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